住宅は健康な家庭生活を営むための器であり、使いやすく機能的であること、地震や火災にも強く安全であること等は大前提です。しかし、それのみではなく精神的な豊かさや楽しさを感じることのできる美しい建築でなければならないと考えています。
そのため設計・施工ともじっくり時間をかけコミュニケーションを取りながら創っていくことを大切にしています。
また、その時々の安全性や機能性を満たすだけではなく、不変的な「快適さを含むオリジナル」が最も重要なことと考え、今後も同じ姿勢のもと神谷義夫建築設計事務所は「オリジナル」に向き合っていきます。
先代である父が名古屋で建築家として評価されている姿を幼い頃から見ていて、自然に建築という仕事を意識していました。
二代目として代表取締役に就任し、自分の考えたものが形になる喜びや、アーティスティックな魅力を感じています。何よりお客さまに住んで使って喜んでいただけることが、この仕事のやり甲斐といえます。
1962年 | 名古屋市生まれ |
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1986年 | 名城大学理工学部建築学科卒 長野県白馬村にてサービス業や建設業に従事 |
1989年 | 株式会社神谷義夫建築設計事務所入社 |
2003年 | 株式会社神谷義夫建築設計事務所 代表取締役に就任 |
住宅設計一筋に50年。
建築の技術とは、経験の蓄積の賜物といわれます。長い経験の積み重ねで、住宅にさまざまな希望を託す建て主の期待に応えてきました。300邸を超えるさまざまな住宅に対し人一倍の情熱を持って関わり、今も創りつづけています。
若い頃よりアートに対しても造詣が深く、多くの芸術家との交遊もあり、彼らの作品を住宅の中に融和させる等、建築の持つ有機的な可能性を追求してきました。
また、趣味、遊びの世界も貪欲に取り組み、囲碁は五段、絵画は個展を開催するほどです。旅にあればスケッチブックをとり出し寸暇を惜しんで写生にいそしんでいます。
80才を超えた今では難しくなってきましたが、スキーや登山もあきらめていません。
建築は単なる技術の集積だけではなく、広い総合的な視野から生まれてくるものとして、趣味をとおして得た経験や感覚が活かされていると考えています。
1959年 | 第一回スレート協会住宅設計競技 最優秀賞 |
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1960年 | 第二回亜鉛鉄板店舗付住宅設計競技 3席入賞 |
1974年 | 日本建築士会第二回会員作品展 優秀賞 |
1982年 | 第一回甍賞 入賞 |
1984年 | 第一回名古屋市都市景観賞 受賞 |
1986年 | 国産材ハウス(都市型)設計競技 最優秀賞 |
1989年 | 美濃の家21設計協議 優秀賞 KAWARAコンテスト 入賞 |
1992年 | 第四回すまいる愛知住宅賞 1席愛知県知事賞 |
1966年 | MATŌ建築設計事務所 設立 |
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1981年 | (株)神谷義夫建築設計事務所 改組 |
2003年 |
神谷義夫代表取締役 退任 神谷真吾代表取締役 就任 |